石野真子さんといえば!
私達の世代はやはり
アイドルとして人気絶頂だった時期に あの
長淵剛さんとの電撃結婚!そして離婚!
が印象的ではないでしょうか?
では、その後は?
現在、石野真子さんに家族や彼氏は居るのでしょうか?
2月12日19:00~放送
【歌のゴールデンヒット~青春のアイドル50年間~】
に出演の石野真子さんについて調べてみました!
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石野真子のプロフィール
名前:石野真子(本名:同じ)
生年月日:1961年1月31日
出身地:兵庫県芦屋市
石野真子の家族構成
石野真子さんは
父、母、妹2人の
5人家族で育ちました。
ビーズ製ハンドバッグ製造会社
を経営する父は
躾に厳しかった
そうで
中、高校時代の門限は
16時30分!
1分でも遅れると玄関で仁王立ち
になり待ち構えていたそうです。
母は
ファッションデザイナーの石野弘子さん。
2人の妹は
石野陽子(現:いしのようこ)さん と
宝乃純(本名:石野敦子)さんです。
3姉妹とも血液型が違うそうです。
真子:A型
陽子:AB型
敦子:B型
※因みに私も3兄弟ですが、全員A型です。^^;
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石野真子の略歴
石野真子 デビュー前
小さな頃から歌うコトが好きで
日曜日の朝11時から放送の
『スター誕生!』
を観ていたそうです。
1975年「歌のレッスンに通いたい」
とお父様に相談し
平尾昌晃歌謡学院大阪校
のレッスン生になります。
ナント!この時
同じく平尾昌晃歌謡学院大阪校に通う
デビュー前の川崎麻世さんと文通していたとか・・・。
1976年 百合学園高等学校に進学しますが
デビューの為上京し
2年生の終わり頃に
堀越高等学校に転向します。
アイドル=堀越 は当時テッパンでしたね!
今のアイドルはどうなのでしょうね?
最近は危機管理の面からも
あまりプライベートな情報
は表に出さない(出せない)のでしょうか。
1977年1月の『スター誕生!』大阪大会では
ブッチギリで予選を通過!
合格ライン250点に対して530点を獲得!!
阿久悠さんたち審査員を驚かせます。
3月の『スター誕生!』第20回決勝大会で
挙がった芸能事務所のプラカードは
なんと16枚!?
大阪大会出場時から
「決勝でダメでもウチにきませんか?責任をもって歌手に育てます!」
と声をかけてもらっていた
『バーニング・プロダクション』
に所属がきまります。
この当時、石野真子さんは太っていたらしく
デビュー曲を担当した吉田拓郎さんによると
『この人ホントにデビューするんですか?』
と思ったとか。
しかし、その3ヶ月後には
見違えるほど変身させる芸能界の不思議さを
その著書に書かれています。
そして、石野真子デビュー
1978年3月『狼なんか怖くない』でデビュー。
タイトルが70~80年代のニオイがしますね^^;
キャッチフレーズは「100万ドルの微笑」でした。
当時、私は中学生でしたが
やはり同級生に石野真子さんのファンがいて
下敷き(当時定番のクリアーファイル)に
切り抜きを入れていた事を覚えています。
『スター誕生!』の予選から
ファンがついていた石野真子さんですが
あの嶋大輔さんも親衛隊だったらしく
大磯ロングビーチのイベントでは
熱中症になり救急搬送されたそうです。
その後も次々と
『わたしの首領』※首領と書いてドンと読みます。
『失恋記念日』
『日曜日はストレンジャー』
『プリティー・プリティー』
『ワンダー・ブギ』
『ジュリーがライバル』など
出す曲は次々とヒットします。
1980年3月デビュー後から多忙だった為に
単位不足で1年留年後に堀越高等学校を卒業されました。
実家が全焼
卒業から7日後の3月10日
芦屋の実家が火事で全焼しています。
幸いご家族は無事だったようです。
石野真子の結婚や家族
石野真子 1度目(20歳)の結婚
石野真子 2度目の結婚
そして不倫
石野真子が【歌のゴールデンヒット~青春のアイドル50年間~】に出演!
は、次ページにつづきます。