小柳ルミ子の経歴や今の彼氏は?今夜くらべてみました に登場!

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2000年の離婚騒動

近頃あまり

テレビで見かけなかった

小柳ルミ子さん。

そういえば最近どうしていたのか?

などが気になった方もいるのでは?

と思い調べてみました。

経歴エピソードと共にどうぞ~!

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小柳ルミ子 プロフィール

小柳ルミ子 

出典:フライングダッシュ

本名:小柳 留美子

生年月日:1952年7月2日

出身地: 福岡県

血液型: A型

小柳ルミ子の経歴

8つの習い事

小柳ルミ子さんは、幼い頃から母親の

『娘を歌手に!』

という想いを受け

  • 日本舞踊
  • クラシックバレエ
  • ジャズダンス
  • タップダンス
  • ピアノ
  • 三味線
  • 習字

と、8つの習い事に通っていました。

8つも習い事をこなすのって大変ですが

通わせる親の出費も大変そうですね~^^;

福岡県の私立筑紫女学園中学校を卒業後

宝塚音楽学校に入学されます。

宝塚歌劇団の玄関

友人が

梓みちよさん(宝塚音楽学校の先輩)の知り合いで

梓みちよさんの紹介で渡辺プロダクションに

「歌手になりたい!」

と直談判したそうです。

しかし

「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」

と渡辺プロに言われます。

『宝塚を首席で卒業したら』って

かる~く断られてるんじゃないですかね?

ところが小柳ルミ子さんは1970年(昭和45年)に

宝塚音楽学校を見事に首席で卒業し

歌手デビューが約束されます。

が、渡辺プロに

「初舞台だけは踏みなさい」

と言われ、一旦

「夏川るみ」

という名で宝塚歌劇団に入団しますが

2ヶ月後(1970年)にさっさと退団します。

歌手デビューに向かってまっしぐらの青春ですね!!

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芸能界デビュー

宝塚を退団した同じ年(1970年)に

NHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー!

1971年(昭和46年)4月25日に

『わたしの城下町』歌手デビューしました。

私の城下町のレコード・ジャケット

『わたしの城下町』は当時よく流れてましたが

この曲がデビュー曲だったんですね。

『わたしの城下町』は大ヒット160万枚の売上げと、

1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録。

更に、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も獲得しました。

早ッ!!

わずかなレッスン期間で即実戦!

しかも結果を出していますね!

基礎はできていたのですね、スゴイ!!

翌1972年(昭和47年)には『瀬戸の花嫁』が発売され

その年の第3回日本歌謡大賞を受賞しています。

1970年代の前半を代表するアイドルとなり

天地真理さん、南沙織さんらと共に

『三人娘』

と呼ばれていましたね。

小柳ルミ子さんは、当時ライバルの

天地真理さんのレコード・ジャケットは

可愛いい衣装を着せてもらっているのに

小柳ルミ子さんのレコード・ジャケットは

自前の服で悔しかった。

と事務所に対しての不満を漏らしています。

その後はアイドル路線を卒業し

『星の砂』や『お久しぶりね』

などのヒット曲を世に放たれました。

ヤクルト・ジョアや金鳥の蚊取線香のCMもこの頃っだかな~

懐かしいですね~♪

1983年公開の映画『白蛇抄』ってご存知の方も多いと思います。

私は未見ですが、この映画で見せた迫真の演技により

第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。

※『白蛇抄』は今でも人気があるのか

某通販サイトで調べてみると

中古DVDでも あまり値落ちしていなかったです。

2000年に三田佳子さんの息子が不祥事を起こし降板した際も

急遽、小柳ルミ子さんにオファーがきた!

という逸話が残っているほどに演技にも定評があります。

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事務所との対立と結婚そして・・・

1988~1989年頃(でしょうか?詳しい年は不明でした)

事務所と方針の違いや待遇への不満から

事務所と揉めて仕事を干された時期を乗り越え

1989年にあの有名な

大澄賢也さん(13歳年下の当時、無名のダンサー)と電撃結婚!!

一時はオシドリ夫婦としてTVに出まくってましたが・・・

その12年後の

2000年に離婚

その際に

「1億円の慰謝料」もしくは

「以前の無名のバックダンサーに戻ること」

どちらかを選べ!

と言ったという事が世間を騒がせましたが

小柳ルミ子さん本人は

「大澄賢也さんから慰謝料はもらっていない。

その条件は大澄賢也さんの方から提示された。」

と言っているそうです。

まぁ、もう昔の話ですし・・・

夫婦間の事は他人には立ち入る事は出来ませんよね。

※ココだけの話

離婚後 関西ローカルのとある番組で大澄賢也さんが

結構長い間アシスタントで出演されてました。

『ネタ』かも知れませんが

「慰謝料を払うため」

的な事を言っていたような・・・

母の死

離婚から6年後の2006年12月12日

母親が亡くなられます。

亡くなった母親は小柳ルミ子さんの人生に大きな影響を与えた方です。

宝塚も歌手になったのも母親の影響です。

その人柄は、

小柳ルミ子さんと大澄賢也さんとの離婚騒動の時に

マスコミが小柳ルミ子さんの母の自宅に取材にきたそうですが

ホットカーラー巻いたまま

「いらっしゃい」

と取材陣を招き入れてお茶出したとか。

電話で、

「お母さん、マスコミ対応しなくてもいいから」

と言う小柳ルミ子さんに対して、母親は

「ルミ子 信じとうよ。私の娘やけ。こんなことで負けるわけない 信じとうよ」

と 言われ

「離婚騒動の中で 母が気丈に堂々としてくれたおかげで乗り越えられた。」

と感謝し号泣したそうです。

お母様、強いお方なのですね~。

その後の恋愛は?

最近の小柳ルミ子は?

そんな小柳ルミ子が今夜の【今夜くらべてみました】に登場!

は、次ページにつづきます。

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