白い巨塔の財前五郎にはモデルがいた!名前の由来は?どんな人物?田宮二郎との関係は?

SNSフォローボタン

フォローする




こんにちは!TJです。

5夜連続ドラマスペシャル

山崎豊子さん原作の

「白い巨塔」

が放送されています。

白い巨塔 タイトル

人気のこのドラマは現在まで

1965年のラジオドラマをはじめ

映画、テレビドラマを合わせ

国内で6回

韓国でも1回

映像化されている人気ドラマ。

今回は岡田准一さん主演で

主役の 財前五郎

を演じていますが

この財前五郎には

モデルになった人物がいた!

って知ってました?

というワケで

今回は

●財前五郎のモデルになった人物とは?

●財前五郎の名前の由来は?田宮二郎と関係があった?

について調査しましたので

皆さんと一緒に見ていきましょう!

スポンサードリンク

財前五郎のモデルになった人物とは?

財前五郎にはモデルになった医師がいます。

作品中では

食道噴門癌の手術を得意とし

次期教授への昇進を狙う野心家

として描かれている財前五郎ですが

モデルになったのは

中山恒明(こうめい)

という外科医で

食道外科で独自の手術法を確立した人物です。

手術風景

中山恒明さんは

1910年9月25日山梨県白洲町の医師の家の長男として生まれます。

新潟高等学校卒し

1934年 千葉医科大学卒業し

1938年には医学博士に

1947年 36歳で千葉医科大学教授になります。

当時の千葉医大の教授はすべて東大医学部出身者でしたが

中山恒明さんは初めての千葉医大生え抜きの教授になったのです。

(のち組織改編により千葉大学医学部教授に)

1964年 国際外科学会の「世紀の外科医賞」を受賞。

1965年 東京女子医科大学客員教授を就任。

同大学に消化器病センターを設立。

同じ年 中山癌研究所を創設。

日本消化器外科学会会長、国際外科学会会長。

1991年 がん医学の中山恒明賞を創設。

中山恒明さんは

漫画「サザエさん」の原作で有名な

長谷川町子さんが胃癌のなった時の主治医でもありました。

この時の中山恒明さんは長谷川町子さんの家族に

力強く完治する事を約束し

「名医は患者を安心させる対人能力にも長けている」

と妹の洋子さん(心理学者)を感心させています。

また、手術の7日後には病床の長谷川町子さんに

漫画の執筆をすすめ

反対する家族を説得したそうです。

ドラマ中では

出世を望み患者に対し冷徹なイメージ

で描かれていますが

「癌治療のスゴ腕名医」

という所がモデルになったのでしょう。

実際の中山恒明さんは

財前五郎とはイメージが違い

やさしいお医者さんのようですね。

病院にもモデルがあった!?

因みに、病院のモデルもあり

大阪大学医学部がそのモデルで

大阪の風俗が味付けになっているそうです。

スポンサードリンク

財前五郎の名前の由来は?田宮二郎と関係があった?

財前五郎

という主人公の名前にも

由来があるそうですよ!

元・大映の副社長の永田秀雅氏によると

原作者の山崎豊子さんと親交があった

大映企画部員の財前定生氏が

「白い巨塔」の企画段階で

主人公の名前を

自分の苗字の「財前」と

当時、人気だった田宮二郎さんの本名

「柴田吾郎」の「吾郎」をとって

財前五郎にしてもらった

と自身のホームページに書かれています。

「白い巨塔」といえば田宮二郎!

ここで、「白い巨塔」に対する

私の思い出を少々・・・。

「白い巨塔」というドラマといえば!

私なんかは即

田宮二郎!

と答えてしまいます。

田宮二郎 プロフィール画像 

何しろ、衝撃的でしたから・・・

田宮二郎という俳優がいた事を

知らない世代も増えてきているでしょう。

そんな世代の方には

何の事??

と思うでしょうね。

1978年(昭和53年)

ドラマ「白い巨塔」が放送され

主演は田宮二郎さんでした。

「白い巨塔」は放送開始時から

高視聴率でウチの親や親戚の中でも

話題になっていたのを覚えています。

私の母親はドラマなどは見ない人でしたが

田宮二郎さんのファンだったので

このドラマと

「クイズ・タイムショック」

は見ていました。

今と違い、

テレビは一家に一台

の時代です。

自然と私もみていましたね。

そんな

「白い巨塔」の放送が残り2回となった

その年の12月28日

田宮二郎が散弾銃で自殺!!

と速報が!?

なんと!

主演の田宮二郎さんが

脚の指で散弾銃の引き金を引き

自殺を図ったのです。

このニュースに日本中が驚きました。

もちろん我が家にも

田宮二郎ファンの母を中心に

ショックの波が来ました。

そんな中で観た

「白い巨塔」の最後の2回は

何とも言えない感情を憶えたモノです。

病院の廊下 

特に最終回で財前五郎が

当時の死因第1位だった胃癌で死んでしまい

ストレッチャーで運ばれるシーンは

既に亡くなっている田宮二郎さんの死を

更に刷り込まれるような感覚で観ていたのを

憶えています。

ほんと、ショッキングな作品でした。

田宮二郎さんは

180cmの長身でハンサムでしたが

一度、ドリフの8時だよ!全員集合の

前半のコントに出演した事がありました。

学校のコントでしたが

田宮二郎さんは転校生役で

黄色い帽子にランドセルと半ズボンでの登場に

「うわぁ~!!田宮二郎がこんな恰好で??」

と子供心に驚きとも感心ともつかない

感動を覚えています。

正統派の俳優がバレエティーのコントに出る

なんて、当時は無かったと思います。

まとめ

財前五郎の名前の由来から

田宮二郎さんの話になり

少し長くなってしまいましたが

●財前五郎のモデルになった人物は、食道外科で独自の手術法を確立した中山恒明(こうめい)という外科医。

●財前五郎の名前の由来は、大映企画部員の財前定生の苗字と田宮二郎の本名の「吾郎」からつけた。

という事が分かりました。

主人公の名前の付け方にも色々あるのでしょうが

自分の名前を付けてと言って

つけてもらえるものでもないとは思いますが

財前五郎という響きはイイですよね。

偶然の産物なのでしょうが

主人公の名前って大事だと思います。

原作の山崎豊子さんもピンときたのでしょうね。

とりあえず、今夜の「白い巨塔」

名作ドラマの最終話を楽しみに観ましょう!

スポンサーリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする